
ハワイアン&ポピュラー軽音楽バンド

メロディーの中に
あの日・・ あの頃が・・
Blue Kapua 21
Dinner Concert 2018 at KKR HOTEL TOKYO

ブルーカプア21
ブルーカプアは、1960年代の終盤に一橋大学に誕生し、
70年頃には、大学、企業、ホテルのイベント等、さまざまなステージで活躍しました。
そして今、かつてのメンバーに新たなミュージシャンが加わり、
21世紀の『ブルーカプア21』として活動しています。
ブルーカプアは、
世の中の多くの人々に愛されてきた名曲を提供する軽音楽バンドで、
お客様第一主義を活動の原点にしています。

写真1

写真2

写真3
20世紀のブルーカプアと中沢秀夫(現代表):ブルーカプアは大学1年時に、ハワイアンバンドとして発足しました。
写真1:
大学4年(中央奥が中沢) 、大手町の産経国際ホールで、大橋巨泉氏のバンド「ザ・サラブレッツ」と共演。
写真2:
同夏、宮崎市のホテル江南荘に1ヶ月出演。当時は、宮崎が日本のハワイとして、また、江南荘は読売ジャイアンツの春季キャンプの常宿として知られていました。
写真3:
卒業後、バンド活動に別れを告げ、野村證券に入社しました。音楽の才能は天と地以上の差がありますが、この点だけは、敬愛する大橋節夫氏が慶応大から旧山一證券に進まれたのと似ています(その後、大橋さんは病気で退社、やがて、プロの音楽家・エンターテイナーとしての道を歩まれました)。
1年生の時に、銀座タクトで初めて遭遇した大橋節夫とハニーアイランダースの演奏は大きな衝撃でした。
今も、 You Tube で観ることができますが、「キャラバン」などでの稀代のスチールギターテクニック、洗練されたサウンド!に驚き、時流になりかけていたエレキギターどころではなくなりました。
大橋さんのジャンルを選ばない広大なレパートリーと、「倖せはここに」などの数多くの気品あふれるオリジナル作品!は今日も鮮やかに輝いています。そして、「自分の好みで、作曲したり、演奏したことは一度もない」、「いつも、どうすればお客さんが満足するかだけを考えた」という生き様は、私の会社人生と、今のささやかな音楽活動に大きな影響を与えることとなりました。
早いもので、あれから45年、日本の経済・社会はめざましい発展をとげました。
長いデフレを経験した今日でも、依然として数多くの経済指標で銀メダル、銅メダルの位置を占めています。
そして、新たなミュージシャンを加えたブルーカプア21は、戦後の日本を飛躍に導いた世代の人々に、感謝と慰労の思いをこめながら、「あの日あの頃」のメロディーをお届けしています。

音響設備のない会場でも、300名様程度への対応が可能です。出演時には、 これらに各メンバーの楽器が加わります。
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